改訂版「The Founder’s Story 家づくりの物語。」
2023年06月09日の文書の改訂版と言うことで
「The Founder’s Story 家づくりの物語。」私達の家づくりが、なぜこのような家づくりとなったのか?の秘密
2023年06月09日
この物語は長崎材木店の家づくりの物語です。私達の家づくりが、どういう経緯を経て、このような家づくりとなったのかを物語として語っています。話は今から半世紀以上も前の話からスタートしていくのですがスタッフにも話した事のないお話。少し長くなりますがどうかお付き合いを。
私の名前は長﨑秀人 生まれは1965年1月10日生まれ。材木店としては5代目。生誕の地は古賀市天神5-10-3。今のモデル住宅が建っているところ。
先祖は代々、この古賀市に根付き昔はこの地域一帯を収める長でもあり、秀吉の朝鮮出兵の時代においては武士として半分農業もしながら山の上に見張やぐらを建てて海岸線の監視や警備を行なっていました。
今で言うところの沿岸警備隊でその名残が長い突き出た「さき」という意味の長﨑という半分武士半分農民の出であり地域の豪族であり江戸の時代には一族は山から降り農地の開墾をしながら豪商の一部となって行くのでありました。
登記簿上では創業は明治30年(1897年)古賀市で一番最初にできた会社。明治の時代より材木を販売しており戦後は空襲にあった小倉、博多地域へと製材した材木をたくさん出荷していたと聞きます。時代は流れ私が育った1970年代、先代の頃は安い外国産のラワン材がブームとなり、そのラワン材を会社の土場に何十本と仕入れ、製材を行なっていました。
今でもよく「長崎もくざいさん」と言われるのですが今まで面倒臭かったので言い直していませんでしたが、この機会にお話すると「木材」と「材木」とは大きな違いがあります。
「木材」とは読んで字の如く「木材」のこと、反対に「材木」とは製材加工した「材料としての木材」のこと、ここに大きな違いがあるのです。この様に「木材」を切り出す林業ではなく、製材加工をして製品を販売するという所以から「材木店」と名付けられたのでありました。
1970年代、私が幼い頃の住まいは、家業を営みながら一階が事務所で奥の方が住居、二階が寝室でした。一階の事務所には大工さんなど工務店の親父さん建具屋の大将、電気屋のおじさんなどが日々出入りしていて大工さんの余った材料で本棚を作ったり、また会社の工場の裏では大工さんが建てる前の家の材料を刻んでいました。
子供の頃から自分の居場所を作るのが大好きで放課後、捨てられたトタンや材木を使って近くの松林で秘密基地を作るのが日課で、思い返すと生まれた時から家を扱うのが好きな子供でした。学生時代は一人暮らしで自由奔放に過ごし就職は住宅資材を扱う商社に決定。
ちなみに設計の資格は好きが講じて、このサラリーマン時代に働きながら取得いたしました。仕事は主にハウスメーカーや工務店に様々な種類の断熱材、システムキッチン、バストイレと家に関する資材を現場の状況に応じて手配をしたり、外壁材であるサイディングやベニア下地の複合フロアー材やビニールの化粧シートで覆われた新建材のドアなどをハウスメーカーなどに卸していました。
ということで、この様な材料を使って工業化住宅が出来上がるのですが、打ち合わせの為、現場に行くとその匂いにいつも悩まされていました。鼻の粘膜が腫れ上がるのです。
日々仕事をしながらも新建材、サイディング、貼り物の複合フローリングなどの偽物を売るのは正直もう辟易していました。「これ以上ハウスメーカーや工務店任せの家づくりをするのではなく、本当に自分の作りたい家を作る仕事がしたい。」といった思いで、商社を4年で辞め会社を継ぐこととなります。その頃、宅建士の資格も取りました。
32歳の時に、子供も産まれ手狭になり家を建てることなり自分で一から設計しコンセプトは「SOLT BOX」 簡単にいうと塩を入れる箱のような真四角総二階の切妻の家。建築的にいうならば8メーター真四角の総二階、切妻、田の字プランの家。当時はまだ設計メソッドを持っていませんでしたが今でも十分通用するよくできたプラン、自然素材をふんだんに使いつつ、景色を見渡せるように2階にリビングを設け、お風呂もトイレも洗面も2階、屋根断熱を施し3階ロフトを設けた小さな木の家でした。
商社に勤め資材に関しては知識があったので、自分の建てたいように建てた理想の家でした。今から26年前の話。当時、まだめずらしかった海外製のペアガラス木製建具を使い。無垢の床、無垢の建具を使った自然素材を使った木の家で寝室は間仕切りなしのワンルーム。正直、私たちが今建てている長崎材木店の家の原型がここにあります。いうならばオリジン。
自宅の建築をきっかけに兼ねてから、自然素材の魅力に取り憑かれていた私は自分が本当に建てたい家を作りたい、自分の建てたい家を設計して建てようということで本格的に設計の道へと進むこととなります。
そして2003年、今から20年前38歳の時に一念発起で会社の駐車場にモデルハウスを設計して建てることとなります。現在の(な)のブランドロゴに変えたのもこの頃です。
「材木店という社名ゆえ材木には絶対こだわらなければならない。使う材木は最高の物にしよう。」ということで木材の生産地を探し回りあちこち全国の山を巡ることとなり、当時人伝に宮崎の西臼杵日之影町というところに、官民一体の第三セクターの製材所があるという情報を聞きつけ現地に行ってみると宮崎県の山深い集落にその製材所はありました。そこではなんと一本一本木材の強度をコンピュータで計測するグレーディングマシーンを導入していているところで一本一本含水率からヤング係数、強度計算まで行なって品質管理している最先端の製材所でした。
ところで私自身肌が弱いせいか建築現場に行くと肌が赤くかぶれることに悩まされていて、よくよく調べてみるとシロアリ防蟻剤でありました。なんとかシロアリ防蟻剤を使わずに済むものはないかと苦心していたのですが私が選んだその木材は、たまたまシロアリに強いという飫肥杉の流れを汲む良質の木材で船や酒樽にも使われていました。この木材を使うことでシロアリ薬剤の問題も解決したのです。その木材を乾燥窯に入れて3週間近く乾燥させることによって、収縮の少ない構造材料へと仕上げることが可能となりました。現在のラージウッド工法のベースとなっています。
ついに理想の木材に出会うことができたのです。
次に流通システムを作ることとなります。仕入れに関しては商社時代の経験が存分に活かせました。山の立木から我々が山ごと山主から一旦直接購入し日之影町の森林組合が伐採し、第三セクターである製材所で製材しそれを福岡のプレカット工場へ直送し、最後に邸別にプレカットされた材料を上棟現場に直送する、最後は我々の手によって再植林するという「西臼杵型産直住宅システム」を宮崎県林業課と一緒になって構築しました。当時、町おこし、林業再生ということで全国的にも話題となって新聞社の取材や各県の林業課の視察先ともなりました。
この仕組み、材木店が市場を通さず山ごと買い付けるという仕入れ方式で宮崎県の林山地とは太いパイプで結ばれ、良質な木材を仕入れることに成功いたしました。またコロナ等を起因とする2021年ウッドショックの影響はほとんど受けずに助かりました。(ウッドショックは外国産の木材の値上がりから木材全般の値上がりとなる大変なショッキングな事件でした。)
また木材以外にも使うものは全て本物でなければならないということでオリジナルの木製建具の開発のため、業者探しに走り回りました。たまたま、知り合いに大川の材木屋がいて自社で木製のオリジナル洗面化粧台など色々面白いものを作っていて、洗面の扉ができるくらいだから無垢の建具くらい作れるだろうと当時、無垢の建具を探していた私は本物の建具を作ってくれないかと頼み込み、試行錯誤の結果、オリジナルの建具が出来上がったのです。上吊り式レールで下レールを無くし床面をすっきり仕上げることに注力し、またドアではなく引き戸 を多用することにより空間を有効に使う事を可能としています。
建具が出来上がれば窓周りなどの造作枠も同じ材料でということで、ミリ単位の寸法でディティールからデザインまで、オリジナルで共同開発することとなりました。大川は家具建具の名産地でもあり品質はずば抜けており、私達の建具や造作材デザインのディティールはこの技術力のおかげ。全てオリジナルとなっております。
既製品の建具とは一線を画す細部にわたる品質と、洗練されたデザイン性を併せ持つことに より上質な室内空間を実現しています。
そして床材や階段材は鹿児島の銘木屋の材料を使うこととなります。昔から取引のあった取引先でもあった業者なのですが和室の需要が少なくなり床柱など銘木の需要がなくなってきた為、新規事業としてその頃、新しく出始めた商品でもありました。
先述の様にビニールクロスに使うノリの匂いが体質に合わず、いつも具合を悪くしていた為、ビニールクロスは絶対に使いたくはありませんでした。全国各地を探す中で火山灰のシラスを使った素晴らしい素材に巡り合います。長い年月をかけて固まった火山灰を精製し仕上げた壁材で多孔質な結晶体でできており、材料1キロあたりの表面積は130,000m²と東京ドームのグラウンド面積13,000m²の10倍もの面積となります。それゆえに空気中の湿気等を吸収放出し、さらには消臭機能にも優れています。その材料を家一軒あたり平均て500キロも使用しております。製造元と共同開発したオリジナル塗り壁です。仕入れコストの問題も解決することとなり、これで全棟塗り壁は完成しました。
外壁に関して、画一的な貼るだけのサイディング材だけはどうしても使いたくなかったので、材料を海外から直輸入することによって左官の手仕事による割れのないオリジナルの外壁が実現したのです。ザックリとした質感が特徴です。
この様に素材は揃いましたが、素材だけではダメで空間の質を決めるのはデザインなのです。私たちはデザイン設計の重要性に気づいていて、全国の建築家と手を組みデザイン性の高い建物を設計することで設計スキルを上げていくことに専念していきます。
その当時、建築家の奥村昭雄さんが発案提唱し、代表の小池一三さんが設立したパッシブ住宅設計の団体に所属することとなりました。その団体は日本の建築家のトップグループでもあり、その源流は師匠として吉村順三、その師匠アントニー レーモンドそのまた師匠はフランクロイドライトまでモダニズム建築の源流を遡っていくという、超一流の建築家を抱えるグループでした。
※パッシブ設計 自然の換気や通風の工夫、断熱性 の向上、躯体に蓄熱させる工夫等を組込んだ新しい設計手法。
※アントニーレーモンドはフランクロイドライトの帝国ホテル建設の際に来日。その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。日本人建築家(吉村順三など)に大きな影響を与えた人物です。
そのご縁で、一流の建築家との協業による住宅建築は5人の建築家と6邸にも及び2007年から2012年この5年間がデザイン的に一番学びもあり伸びた時期でもありました。公益財団法人日本デザイン振興会主催のグッドデザイン賞2回連続受賞したのもこの頃です。
またこの頃、全国各地の名建築を見て回り国内ではもの足らず フランクロイドライト、イームズ、カーン、コルビジェ、ミース、フィンランドのアアルト、スリランカにあるジェフリーバワの建築、ドイツのバウハウス、キューバにあるヘミングウエイの自宅。イタリアのシェナ世界の建築を建築家と見て回りました。
これらの学びを元に建築設計を体系化していくこととなり、そして出来上がったのが長崎材木店一級建築士事務所オリジナルの設計デザインコードなのです。外観、内観お庭とそれぞれ設計原則を作り建築を体系化することで全ての私たちの建物に設計デザインコードを適用することが可能となりました。一級建築士事務所登録を行い、設計事務所を立ち上げたのも2007年この頃です。この様に設計から施工までできる設計事務所というのも稀有では無いでしょうか?
一般の人にとって、わからないけれどなにか良いもの。私達プロは理論立てて理解しなければなりません。建築は言葉で語れなければ本物でないと私は考えます。このように当時、自分なりに設計を言語に置き換えることにより体系化していく作業を行うこととなりました。
現在では私達の作る住宅において、この設計デザインコードは70にも及び。ルールは設計チームにより厳格に守られているのです。これが長崎材木店の家であるという証のコードであるのです。長崎材木店一級建築士事務所の一番の特徴はと聞かれたら私はこうお答え致します。「設計事務所が設計して工事までする。」というところ。「特に私たちが一番大事にしているのは外観デザイン。これが、私たちが私たちである所以。」設計思想は骨格である外観に如実に現れてきます。グライダーの羽の様に軒を出すオリジナル工法 グライダールーフ工法などもこの時に開発されました。素敵な家の第一条件それは長期にわたって愛され続ける素敵な外観デザイン。その素敵な外観(骨格)に、さらに素敵であるための要素、自然素材の材料や断熱、耐震など性能の肉付けをしているのです。
長崎の家は高額、だけれどもデザインなどがいいという評判が立つようになってきました。同時にここにデザインメソッドは確立されるのでありました。
デザインというものは自然素材や塗り壁材、断熱材などの建築材料のように買ってきて取りつけるものでもなく、どこにでも売っているものでもない。練って、練って作っていくものなのです。当然間取りとの整合性を考えながら設計士がデザインコードを押さえながら一邸一邸プランを練っていくのです。自然素材の家ならどこでもできます。
この様にデザインコードはびっしりと整理整備され設計デザインチームによって全てチェック管理され外観デザインレベルを担保しています。それらをクリアーしていくことでしっとりとした、安定感のある外観の建物となっているのです。
中でも一番重要視しているのがプロポーション、立ち姿。寸法は秘密、家の高さはできるだけ低く作り重心を落とし下に持っていくことで家の重厚感を出しています。外観デザインこそ、私たちの生命線なのです。
よーく、他所の建物と見比べて貰えば何となくわかるでしょうが全体的に建物の背丈が低く感じませんか?これが味噌。特に平家は低くしています。低くしつつ内部の天井高もしっかり確保しているのです。低く作りできる限り建築を主張させない。この様にして、地域の景観に馴染む建物へと仕立てていくのです。
一般の方では分かり得ない、私たち独自のデザインコードをクリアーしていくことで、結果しっとりとした安定感のある外観の建物となるのです。これを私たちは死守しているのです。一旦、このデザインコードから外れたものが建ってしまうと、永遠に外部の目に晒され我々のブランドの毀損の恐れがあるのです。それくらい我々は建物の外観には注力しているのです。
またプランニングに関しましてもこの当時、私達が編み出したのがグリットプラン。専門的な話で申し訳ないのですが、手法としては以下の通りです。敷地を読み込みランドスケープから入り駐車場配置を決め二階からプランニングし一階に落として下屋展開していくという手法です。
この様に設計手法は確立されたのですが、住宅業界には大きな問題が横たわっていました。
住宅業界の構造的問題として、営業マンが前面に出てお客様とプランの打ち合わせをして、それを元に設計がプランに起こすというスタイル。これではいい家は決してできないと私は考えていました。
さらには住宅の売上棟数によって歩合給が決まるという、営業システムが業界には蔓延っていまして、これでは「友達の家を作る様に」というコンセプトから大きく離れてしまいます。いい思いをするのは営業だけ。当然営業も棟数のみを追いだします。
私がやりたいのは、最初から設計士が家づくりに参加するというスタイル。「友達の家を作るように」しかもチーム一丸となって家を作る。これこそが我々の提案している。「設計事務所で素敵な家をつくりませんか?」というブランドメッセージなのです。このように設計士が前面に出て家づくりをするようになったのもこの頃です。ついに設計事務所がメインとなって設計から工事まで行うという体制が出来上がったのです。設計事務所にも色々ありまして、デザインならデザイン設計、構造なら構造設計と分かれていまして、当然施工までは行いません。そこでよくあるのが責任の所在。メンテナンスに関してもそう。しかしながら私たちは設計から施工まで一気通貫、全スタッフがワンフロアーの社内にいるので伝達漏れによるミスもなく責任も全て取る事ができるのです。
次に、企画して設計したのが、土地をお持ちでない若い方に向けてのパターンオーダー住宅。よく注文住宅の価格は分かりにくいと言われます。なぜなら、注文住宅(フルオーダー)は多くのものから1つずつ決めていくので総額予算を把握するのにも苦心しストレスも感じます。また時間もかかります。自分で選べる「パターンオーダー」の家づくり。お気に入りのデザインと間取りの組み合わせを、価格表を見ながら自らチョイスできるので楽しみながら家づくりをすることができます。
性能値に関しても耐震性能は消防署や警察署など避難所並みの最高等級である耐震等級3 、断熱は下限値として断熱等級5をクリアー、顧客の要望により最高等級の断熱等級7まで上げることもできます。さらには自然素材の木の家。冬などエアコン一台で家全体を温める事ができます。 例えていうならばコンパクトカーのような高性能高品質住宅なのです。このパターンオーダー住宅、2013年の発売以来、お陰様で現在でも改良を加えながらご好評をいただいております。
さらに2011年当時、私達においてはまだ大きな課題を抱えていました。それはお庭に関して。いくらいい建物を設計して施工したとしても、お引渡後に行ってみるとブロックにフェンスと建築が寂しいことになっている。お客さま自体もセンスのいい外構業者を探す術を持っていなかったのです。
その為、お庭に関してのノウハウもなくお客様任せの状態に甘んじていたのです。正直色々手を尽くしたのですが、建築と外構造園の世界って異業種別世界。仕入れ先も異業種ということで口座をなかなか作ってくれない。あーでもないこーでもないと手探りで暗中模索の時代でもありました。
「家と庭は絶対に社内にて同時並行で設計して計画しなければならない。もちろん施工も自社で」という確固たる思いのもと悪戦苦闘しながらもやっていましたが、2021年にふとしたあるご縁によって店長級のガーデナーが3人もスタッフとして参画してくれることとなったのです。念ずれば通ず、でしょうか、10年もかかりましたが、これでお庭と家の設計計画を同時に進め提案ができる、夢のような体制となりました。ついに建築とお庭の一体化の夢が完成することとなったのです。社内にお庭の専属部署がある会社は類を見ないでしょう。
また近年においては、家づくりをじっくり落ち着いて楽しんでいただきたいという思いのもと、福岡県内の要所要所にスタジオを設置、専門の保育士スタッフを採用し保育ルームも備えるこことなりました。週末はまるで保育園のような状態ですが気兼ねなくお打ち合わせができる様になっています。子供もお友達なのです。設計事務所に保育士までいる。こちらも全国的に見てもあまり類を見ないでしょう。10年ぶりに設計私塾も開校し、若手設計士の育成にも力を注いで行っております。私たちの理想の家づくりにやっと近づいて参りましたが、以上が現時点までの家づくりのお話です。
現在進行形のお話と致しましては、創業125周年を記念して9800万円の増資を行いました。また記念事業といたしまして、現在本社にて高性能モデル住宅「平屋ベースの庭を眺める上質な木の家」の設計施工。耐震等級は最高等級の3、断熱等級は等級6、UA値は0.46C値は実測結果で0.45。ヒート20G2クラスの高性能住宅。また福岡県太宰府市には近日着工予定のモデル住宅「建築家 伊礼智氏の提案するプレタポルテ住宅」久々の建築家住宅となります。お庭に関しては作庭家の荻野寿也氏を予定しております。これから未来に向けてでありますが、まだまだお話は続いていくのです。
2023年 9月7日
長崎材木店一級建築士事務所 代表取締役 長崎秀人